なにもしたいことなんてない・・・虚無感と自己防衛とトカトントン

 

 

荒々しく身を削りながらも、ドラムに打ち込む
主人公の鬼気迫る姿に引き込まれてしまう
映画『セッション-Whiplash-』(2014)

 

 

「自分にはこれしかない」と
音楽を極めていくことにプライドを持ちながらも、
親戚間にあるコンプレックスやまわりに認められた
いという自信のなさを埋めるように演奏に打ち込み
壊れそうな危うさを感じさせる19歳の主人公。

 

学院最高指導者と名高いスパルタ鬼教師が、そんな
青年の資質に可能性を見出し、理不尽なまでに厳し
い指導で才能を伸ばしながら、限界を超えさせよう
と肉体的にも精神的にも彼を極限まで追い詰めてい
きます。

 

 

ギリギリの精神状態から演奏会場に向かう途中に事
故に遭い、大学を退学させられ、挫折を味わった主
人公は一時、音楽を離れます。

 

「そのままで、存在しているだけでいいんだ」
父親に存在自体を全肯定され、心身をすり減らすこ
ともない平穏な日常を得られても、彼に残ったのは
“無気力”な日々。。

 

そして再び自らの足で「自分にはこれしかない」
険しい演奏の境地に挑んでいくのです。。

 

 

 

主人公の音楽への情熱というか、執念の一部にスポ
ットを当てたストーリーはざっとこんな流れですが
映画の物語自体はこういった言葉で、綺麗に丸く収
まるものではありません(笑)

 

激しい葛藤や様々な登場人物とのエゴや感情のぶつ
かり合いなど、二転三転する緊迫した展開に溢れ、
「正しさ」という枠組みにあてはめることのできな
い内容から賛否両論も多い映画ですが、予告映像に
もあるラストの9分19秒の衝撃は、ぜひ観て体感し
て頂きたいです。。

 

 

狂気に満ちて病的でもあるけれど、
一度は離れた音楽に自分の存在意義を見出し、覚醒
していく主人公と理想の音をひたむきに追い求める
教授の姿には圧倒的なエネルギーがあり、

そういう自らを突き動かすものとの出会いは、やは
りそれだけで大きな生きる力になるように感じます。

 

(実際、作中でも打ち込むものを失った虚無感の中
で生きている時の主人公は、活き活きしているとは
言えません。。)

 

 

この2人ほど全てを捨てて、ひとつのことに心血を
注げる人は稀ですが(親密な人との関わりも捨て、
冷酷で無遠慮な生き方を選んでいるため孤独です)

程度や他のバランスとの兼ね合いが違っても、
こだわりを持ってやりたいことがあると、他がどう
であれ、そこに存在価値を見出せて、救われる事は
きっと多いと思います。

 

 

 

 

 

が、やりたいことが なにもない・・・

 

 

 

もちろん、生きることに必ずしも必須という訳では
ありませんし、人によって見つかるタイミングも違
ったり、同じ人でもその時々で変わるので

(セッションの主人公も一時はドラムを離れ、なに
もない状態になりました)

皆が皆、明確にあるものでもないと思います。

 

ですが人によっては、日々の些細などんなことも無
意味に思えてしまったり、

虚無感無気力の中にいて、生きる気力すら湧かな
い時には、何事にも情熱を持てない冷めた自らの心
に嫌気がさすような、、

生きる目的や楽しみがないことに対し悲観的になっ
てしまう経験がある方もいるかもしれません。。

 



太宰治の短編小説『トカトントン』

 

タイトルも軽い面白い響きですが、何をするにも白
々しくバカらしくなってしまう虚無感に悩む青年の
話が、自虐的にユーモアな表現で綴られています。

 

小説は26歳の青年(おそらく太宰治)が、とある作
家(おそらくこちらも太宰治)へ書いた手紙の形式
で始まり、最後は作家からの短い返信で終わります。

 

 

拝啓。

一つだけ教えて下さい。困っているのです。

 

 

田舎の小さな郵便局に勤める主人公は、手紙で作家
に悩みを相談します。

 

何かを始めようとしたり、仕事でも恋愛でも、一時
気持ちが盛り上がったかのように感じると、頭の中
に金槌でたたくような「トカトントン」という気の
抜けた音がする。

 

その音を聞くと、スッとやる気が失せて、急にそれ
まで高まっていた気持ちもバカバカしく思えて、し
らけてしまう、と。。。

 

 

と言っても決して、兇暴(きょうぼう)な発作などを起すというわけで
はありません。その反対です。

 

何か物事に感激し、奮い立とうとすると、どこからとも無く、幽かに、
トカトントンとあの金槌の音が聞えて来て、とたんに私はきょろりとな
り、眼前の風景がまるでもう一変してしまって、映写がふっと中絶して
あとにはただ純白のスクリンだけが残り、それをまじまじと眺めている
ような、何ともはかない、ばからしい気持になるのです。

 

もう、この頃では、あのトカトントンが、いよいよ頻繁に聞え、新聞を
ひろげて、新憲法を一条一条熟読しようとすると、トカトントン
局の人事に就いて伯父から相談を掛けられ、名案がふっと胸に浮んでも、
トカトントン、あなたの小説を読もうとしても、トカトントン、こない
だこの部落に火事があって起きて火事場に駈けつけようとして、トカト
ントン、伯父のお相手で、晩ごはんの時お酒を飲んで、も少し飲んでみ
ようかと思って、トカトントン、もう気が狂ってしまっているのではな
かろうかと思って、これもトカトントン、自殺を考え、トカトント

 

「人生というのは、一口に言ったら、なんですか」

 

 

 

引用:太宰治『トカトントン』

 

 

 

短く、軽快なリズムなので、さらっと読めます◎

 

 

死後に変わる故人の表情

 

私は今でこそヨガだったり、絵だったり、
これからも取り組んでいきたいと思えるものが見つ
かりましたが、

以前の「死にたい」「消えたい」にとらわれていた
時期は、そういった考えで頭がいっぱいで、
トカトントンではありませんが、何をするにも
やる気が失せていました。

 

 

何にもしたくないから、生きていても仕方がない。

 

 

そんな思考で、
当時処置をしてくれた医師の先生に

 

「本当に些細なことでもいいから、
死ぬこと以外で、どんなことでもいいから。。
何でも自由にできるとしたら、今何がしたい?」

 

と聞かれても、

本当に何も思い浮かばずに

 

「睡眠薬をたくさん飲んで、何にも考えなくていい
ように、ずーっと眠ってる、、とかですかね。。
目が覚めちゃったら、またそれを繰り返して、、
そのまま起きることがないといいんですけど…」

 

と答え、先生を泣かせてしまう。。。なんてことも
ありました。
(今振り返ると、本当に申し訳ありません。。。)

 

 

でも、その時は本当に、それまで日々の大半打ち込
んでいた絵を描く気力もプツンと失せてしまって、

(※ただ、当時は好きで描いていたというより、自
信のなさを必死に埋めるために根詰めていた部分も
大きかったです。。)

 

なにもしたいことなんてない・・・
やりたいことなんてなにもない・・・
無気力状態からなかなか抜け出すことが出来ません
でした。

どうせ死ぬんだからを言い訳にしていた部分も・・・)

 

 

こんな調子の若者に対し、トカトントンで作家
(=太宰治)はこんな返事を返します。

 

 

拝復。気取った苦悩ですね。

 

僕は、あまり同情してはいないんですよ。

 

十指の指さすところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない
醜態を、君はまだ避けているようですね。

 

真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。

 


 

そんな状態を脱してから感じたことですが、
当時の虚無感の中にいて、情熱に向かう感覚が麻痺
していたのは、やりたいことを感じなくさせること
で本能的に自分を守る、自己防衛の働きだったので
はないかという気がしています。

 

 

自己防衛反応は、頭ではコントロールできない一種
の自動的な反応のため、それを変えるにはまず自分
自身の心の動きや癖を俯瞰して理解してみようとす
ること。

そのうえで、今までとは違った行動や選択で
「大丈夫だった」という体験を上書きしていくこと
で解消していくことができます。

 

 

それをするためには、認めたくない感情や深い悲し
みや弱さに直面したり、太宰治のアドバイスで言え
ば醜態、綺麗ごとではごまかせないこともする勇気
が必要。。

 

 

虚無の中にいると、良い意味で何も感じずに済むの
ですが、そうして自分で自分の気持ちに蓋をするこ
とで、いつまでも膿を放出できなかったり、生きが
いを感じるものにさえ鈍感になり、空虚な無力感か
ら抜け出せないのは、かえって満たされることのな
い、つらい世界でもあるのではないでしょうか。。

 

長くなってしまいましたが。。
冒頭のセッションの2人のように、情熱に正直にむ
き出しになれる姿は、一見激しく苦しそうに見えて、
心のブレーキを突き抜ける生きやすさへのヒントも
示しているのかもしれません。。