『僕は絵に命を懸けた。そのために半ば正気でなくなっている』映画【永遠の門 ゴッホの見た未来】とゴッホ展

 

 

『ひまわり』や『糸杉』などの代表作で知られる
フィンセント・ファン・ゴッホ。

 

自画像(渦巻く青い背景の中の自画像)
1889(出典:Musey)

 

 

映画『永遠の門 ゴッホの見た未来』を観て、
上野の森美術館で開催されている『ゴッホ展』
行ってきました。

 

 

映画は、ゴッホの言葉に揺さぶられ、号泣。。。

 

精神に病を抱え、まわりとはあまり良好な人間関係
を築けず、耳を切り落とした奇行や孤独なエピソー
ドも多いゴッホですが、

映画では画商の仕事をしながらゴッホを支え続けた
弟のテオとの信頼関係や、ゴーギャンとの友情につ
いても描かれており、ゴッホに対する印象が少し変
わりました。

 

ゴーギャンと共に暮らした黄色い家のエピソードも
宿を探していた時に、偶然見つかった空き部屋が
元々真っ黄色の壁をしていたとは。。。

 

《アルルの女》(ジヌー婦人の肖像画)1888
フィンセント・ファン・ゴッホ(出典:Artpedia)

 

《アルルの夜のカフェにて》(ジヌー夫人)1889
ポール・ゴーギャン(出典:Artpedia)

 

 

映画には、2人でジヌー婦人を描くシーンも
出てきます。

 

 

そんなゴッホの描く姿を残したゴーギャンの作品。

《ひまわりを描くフィンセント・ファン・ゴッホ》
1888 ポール・ゴーギャン(出典:Musey)

 

 

ゴッホはゴーギャンを「詩人」と呼び、その想像
や思考から表現を広げる姿勢にも関心を持ち、
尊敬していました。

 

 

そんな2人の共同生活も、強い個性のぶつかり合い
と気質の違いから、2ヶ月で終わりを迎えます。

 

 

「芸術は自然の象徴なのだ。
自然の前で夢を見つつ、
そこから抽象を作り出すのだ。」

 

記憶や想像から描くことを好み、全くの想像で描く
ことをゴッホにも指導していたゴーギャンと、

 

(※ひまわりを描くフィンセント・ファン・ゴッホも
その姿を想像して描いたと言われています。)

 

「ぼくはモデルなしには仕事ができない。
誇張もするし、時にはモチーフを変形もする。
けれどもその結果、
絵全体をでっちあげることはしない」

 

共にイーゼルを並べて目の前の同じモチーフを描き
共同体として互いに高め合いながら制作を続けた
かったゴッホ。

 

 

フィンセントと私は性格の不一致から、
トラブルなしに一緒に暮らすことが
絶対にできないからです。

彼も私も自分の制作のために
静けさが必要です。

ーー ゴーギャンがゴッホの弟テオへ宛てた手紙

 

 

元々人と上手く関係を築くことが苦手だった中で、
深く心を通じ合えたと感じたゴーギャンが去ってし
まう悲しみから、錯乱状態に陥ったゴッホは耳を切
り落してしまう事態に。。

 

 

劇中では、絵のモデルになった方もそっくりです。

 

絵の裏側にある物語を知ることができて、より臨場
感を味わいながら、その後の展示を楽しめました。

 

ゴッホの最期を看取ることになるガシェ医師との
会話のシーン

 

ガシェ医師自身にも憂鬱質の気があったようで、
ゴッホは手紙にもこんな言葉を残しています。

 

 

僕はガシェ医師を

予め用意されていたような友人、
新しい兄弟のように感じた。

それほど僕たちはお互いに
身体的にも精神的にも似ている。

 

ゴッホは沢山の手紙を書く人だったようで、そのう
ちの大多数は弟テオに宛てたものでした。

 

作品展では、そういったゴッホの手紙の言葉も紹介
されていて、それを読むと映画の弟テオとのシーン
を思い出し、再び感慨深いものが。。

 

自殺(?)(※映画では他殺として描かれていまし
た)により、最期は弟に見守られながら37年の人生
を終えたゴッホと、その半年後に兄の後を追うよう
に33歳で病死したテオ。

 

生前、評価されることのなかった絵の才能を認め、
気難しくトラブルも絶えなかった兄の唯一の良き理
解者として、生涯ゴッホを支えたテオの存在がなけ
れば、きっと今日に作品が残ることもなく、展示も
映画も観られなかったんでしょうね。。

 

 

作品展では、27歳から画家として活動したおよそ
10年のうち、はじめは写実的な表現で農民の暮らし
を描き、33歳で印象派の作品に影響を受け、次第に
明るい色調へと変化していく様子、

その後35歳から晩年の2年間に、今に残るいわゆる
ゴッホの画風を確立させ、代表作を描いていた過程
が、テオへ綴った当時の心境と共に辿っていくこと
ができます。

 

 

あぁ、クロード・モネが風景を描くように
人物を描かなければ。

ーー 弟テオへの手紙より(アルル)

 

《睡蓮》クロード・モネ(1914-26)
MoMA NY近代美術館にて撮影

 

↑この絵が描かれたのはゴッホの死後ですが…
モネの穏やかな風景画に、ゴッホも惹かれていたよ
うです。

 

特に耳切り事件を起こした後、サン=レミの精神療
養院で描いていた晩年の作品からは、更に優しい色
彩や繊細なタッチが感じられました。

 

《糸杉》フィンセント・ファン・ゴッホ 1889
(出典:Artpedia)

 

糸杉のことがいつも僕の心を占めている。

僕は糸杉を主題として、あのひまわりの
連作のようなものを作りたい。

それは、線としても、比例としても、
まるでエジプトのオベリスクのように美しい。

 

 

盛り上がった筆跡を間近で見ると、確かに本人が
この絵の前に居たんだなぁと、、

他の画家も確かに生きていた事には変わりないので
すが、あの独特なタッチが妙にリアルな存在感を醸
し出しているような気がします。

 

 

僕は絵に命を懸けた。

そのために半ば正気でなくなっている。

それも良いだろう。

 

映画の中でも、「考えるのをやめたい」と話してい
たゴッホですが、描くことで我を忘れ、癒されてい
た部分もあったんじゃないかなぁと感じました。

 

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自分をこの世に存在しなかったことにする方法

 

 

 

精神的な発作に苦しむ中でも、純粋な情熱を燃やし
続けたゴッホ。

 

未来のこの状況を伝えたいくらいですが、自分の信
念を貫き続けたからこそこうして作品も残り、尊敬
と感謝と共に、最期は何を思ったんだろうなと考え
てしまいます。

 

最期まで命を懸けて描いていたから、悔いはないの
かな…とも。。(勝手な想像ですが)

 

 

知れば知るほど、知りたくなる、ゴッホの謎。。。