自分をこの世に存在しなかったことにする方法

精神病棟を舞台にした映画17歳のカルテ(’99)

その中で主人公のスザンナ(ウィノナ ライダー)
は多量のアスピリンとウォッカを飲んだ理由をこう
話します。

「死にたかったんじゃない、

“消そうとした”の。」

17歳のカルテ

「死ぬ」のではなく『消えたい』
『生まれなかったことにしたい』

漠然とした不安や違和感…
自分という存在を無かったことにしたい…

そんな気持ちを抱いたことがある方には、なんとな
く共感できる部分もあるかもしれません。

映画の原作は主人公のスザンナ・ケイセンによる
ノンフィクションの自伝。

パーソナリティ障害を熱演したアンジェリーナ
ジョリーはアカデミー助演女優賞を受賞しました。

17歳のカルテ

私は子どもの頃、写真や作品、文章など、この世に
自分が生きた証拠を残すのがとても嫌でした。

写真を撮られるのも大嫌いで、小学校ではやむなく
廊下に貼り出された自分の写真を黒く塗りつぶして
怒られたり(笑)

描くことや物をつくる過程は好きでも、それを形と
して残して置くのに耐えられず、すぐにゴミ箱へ。

“自分がこの世に存在した”

その証拠を残すことを、避けたかったのです。

そんな人、いたっけ…?

何も生きた痕跡を残さなければ、明日空気のように
ふっと消えてなくなれるんじゃないか、
そんな幻想を抱いていました。

なので(?)部屋の存在の痕跡を一気に捨ててみた
日もあります。

綿矢りささんが17歳の時に書いた小説『インストー
ル』にも、主人公が部屋の中のものを全て捨てて、
空っぽにするシーンがあります。

初めて読んだ時には「同じことを考える人もいたん
だ!」となんだか不思議な嬉しさがあったのですが、
映画化もされたので、意外と似たようなことを思っ
たり、したことがある方は多いのかもしれません。

インストール (河出文庫)

そんな風に、この存在を無かったことにできないか
と、若い頃は色々あがいてみたのですが、、結局
綺麗さっぱり消える事はできませんでした(笑)

ですが現に生きている今、別に物理的に抹消しなく
ても、健全に自己の存在を消し去り、楽になる手段
を持つことで、存在すること自体を苦痛だとは感じ
ずに生活できています。

wallart_painted by nina inteviam

先月もサロンの一角に、絵を描かせて頂きましたが
(壁画)今となってはこの世に何かを残すことは
分身に意識をそらして、自身の存在を無くす方法で
もあり、人の為に生きる意味のひとつになりました。

やはり数ある選択肢の中からご依頼いただくクライ
アントさんへの感謝の気持ちとして、作り手の存在
価値に関係なく、作品の為にできる限りのエネルギ
ーを注ぎたいという思いから、生きる責任のような
ものが生まれるような気がしています。

(個人の勝手な見解ですが。。)

inteviam(いんてヴぃあm)

同じ“描く”にしても、誰かの手に渡ることで、かつ
ての様に塗りつぶしたり、破くこともできない作品
だからこそ、

「軽く、適当でいいですよ」と言われても、そんな
加減ができる器用な人間ではないので、がっつり
気を込めてしまいます。

すると、次第に気を込める目の前の世界や対象が大
きな大切な存在となっていき、自己の存在は消えて
なくなっていくのです。

しかし皮肉なことに、消えたい一心の屍のような時
にこそ、誰に頼まれてもこれができませんでした。

気持ちを込めるどころか、
鉛筆すら、持てず。。。

意識が“消えたい自分”の一点に集中し、描くことな
ど、他の対象に目を向けられない状態でした。

もし何かを作るのが好きな場合、そんな風にいくら
周囲に薦められても、それを重荷に感じるうちは苦
痛でしかないので、無理をする必要はないと思います。

ですが“なんとなく”でも気が向いて、文章や写真、
ガラス細工やリメイク、塗り絵などでも。。
何かを創作したり形にしてみようと思えた時、

その分身が生きる思い入れとなり、存在を消しなが
らも支えてくれることがあるため、創作活動は精神
を癒す手段として非常におすすめです。

(私も最初のリハビリは、休み休みの塗り絵や色遊
びからだったので、無理やりではなく、

小さな「気が向く」瞬間に素直になっていくことが
近道だと感じます。)

また、創作以外にも、物事は取り組み方次第で
自我の存在を無くしてくれます。

忘我(ぼうが)

夢中になって、我を忘れることです。

先日も「描いている時に何を考えてる?」という話
になったのですが、

頭の中で思い描くイメージを、手を通して表現しよ
うとしているのは私でも、そこに自己や我の意識は
全く無く…

ただ、描いている。

思い返せば、それだけの世界でした。

同様の手段として『身体に意識を集中すること』
も自我を忘れるのに役立ちます。

スポーツなどでも身体の動かし方は様々なので、相
性の良い動作はそれぞれあるかと思います。

私の場合はヨガ、(特にポーズの型や順番が決まっ
ていてハードに動き続けるアシュタンガヨガ)だと
頭を空っぽにしてひたすら視線やカウント、呼吸や
重心、動く方向性などに集中できるため、もやもや
と他のことを考える余裕もありません。

我を忘れるには最適だと感じます。

そこにはヨガしかなく、

なんでこの世に生きているんだろう…

といった自分の存在を悩む隙もありません。

だから平穏です。

教える時も同じく、目の前のレッスンのことしか
眼中にないため、完全に我を忘れています。

存在感が無くなった時こそ1番楽しめますし、
反対になんだか居心地が悪い時は、緊張している
自分を感じ取っています。

慣れない環境でも、段々と目の前に集中し、その世
界に溶け込んでいくと、己の存在ごと緊張も何処か
に行ってしまうことも多いです。

思い返してみると摂食障害を患わっていた頃の
『過食嘔吐』も、ひとつの“忘我の状態”だったのか
な、と今では思います。

“とにかく意識を吹っ飛ばして、自分という存在を
消してしまいたい・忘れてしまいたい”

そんな悩みを解消するのに一役買っていました。

当時の私は、とにかく自分をコントロールしようと
必死で、常に目を見張る自己の存在が隣り合わせ…
我を忘れるなんてありえないという思考でした。

だから窮屈で苦しかったのです。

感じたくない自分の存在を、否定するように監視す
ればするほど、嫌なことばかりに着目して、いつも
そこから逃げ出したいと感じていました。

(関連:見ているところが見えてくる

その執着心に対し、見たくないものを見せられてい
る身体は、“もう見たくない…!”と健気に反抗していたのですね。。

もし今、消してしまいたいと追い詰められる問題や
自分の存在があったとしたら、

それに“執着しすぎていないか”振り返ってみて、

それすらも忘れてしまうような没頭できる時間を
持つことを、試してみると良いかもしれません。

“没頭”というのは、別に大それたことじゃなくても

映画で人物の心情に普段より想像力を添わせたり、
楽器の一つ一つに染まるように音楽を聴くでも、部
屋の一ヵ所を徹底的に綺麗にするでも良いんです。

今まで何かと表向きに、自己をコントロールをする
機会が多いと、一度それらを全部取り払おうとする
のは、恐怖に感じるかもしれませんが

ちょっとやそっと我を忘れても、しぶとい元々の存
在を忘れ去ることは無く、きちんと戻ってこれてし
まうので大丈夫です。

まずは誰にも気兼ねなくできる、一人の時間からで
も意識を何か、いつも気にしていることではない、
外の他のことに向けてみてください。

マインドフルネスinteviam

過食嘔吐やリストカットなども、いま目についてし
まう場所ではない、もっと違うどこかに、本心は目
を向けたがっているサインとして、
否定して押し込めようとするのではなく、

まだ言葉で分析できていないだけの、意思表示の現
れ、意にそぐわないコントロールの反動なんだとい
うことを、認めてあげましょう。

表に向ける冷静さを保とうと、自分の行動を否定し
内側にこもり続けていると、意識が一ヵ所にとどま
って全体が見えず、迷子になりがちです。

そして本当はあまり見たくないはずの自己の存在が
余計に際立ちます。。。

意識を色んな所に出し入れしている方が、相対的に
苦しみの原因も見つけやすく、実は問題を冷静に解
決する近道になるんです。

水面inteviam

スイカでも、花火でも、お祭りでも、水面でも。。

マイルールを捨てて、その場に染まり、忘我の境に
入った方が楽しめますし、その体験から得た新たな
気付きが、事を上手く進めるヒントになることも。

なにより目の前の瞬間が豊かだと、気持ちが楽にな
りますよ◎

思春期病棟の少女たち (草思社文庫)

今では懐かしくもある精神病棟。。

劇中に出てくる「ここに安住してはだめ」のセリフ
も今では作品を超え、色んな意味で解釈できます。

心も、ある一箇所の思いに留まるより、揺れ動きな
がらも旅に出てみたほうが、実はバランスがとりや
すく結果的に土台が安定することも。。

(映画に関する画像出典:youtube)

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