『すぐ死ぬんだから』自分に手をかけないのは自己放棄


「人間、誰でもみんな死ぬんだから。」

 

だからの後、ご自身だったら
どんな言葉を続けますか?

 

 

ヨガのクラスの前後でも、たまにふとした雑談から
健康や老い、人生や生きがいのような話に発展した
りもするのですが、

「老いや死は必ず訪れる」という共通の認識を持っ
たうえで、

 

どう生きるか

 

“生き方”に対する向き合い方は、
本当に人それぞれだなぁと感じます。

 



脚本家の内館牧子さんの小説『すぐ死ぬんだから』

その広告に、敬老の日に合わせて内館牧子さんの言
葉が載っていたのですが、シニア世代ではなくても
ガツンと心に響くものがあったので、そのまま引用
してご紹介します。

 

内館さんからすればまだまだ半人前過ぎる私も
ある程度歳を取って(笑)、
その時には気付けなかった“若さ”の特権・価値を
改めて感じられるようになったのですが(失ってか
ら気付く…ってこういうことですね…笑)

 

高齢者に限らず、若い人の集まりでもこういうこと
ってあるなぁと。。

若くても、歳を重ねても“自信が持てない”時、
それはなぜなのか、、世代に関わらず共通したヒン
トがあるように思いました。

 

 

▽以下、内館さんの言葉です。▽

 

 

年をとると、男も女も
見た目にかまわなくなる。

そんな人が増えるのはなぜだろう。

家族や親しい人たちが、
思い切って注意しても、答えは多くの場合、
「どうせすぐ死ぬんだから、楽が一番」に行きつく。

「どうせすぐ死ぬ」という言葉は、
自分に手をかけない高齢者たちの「免罪符」である。
こう言っておけば、たいていのことは見逃してもらえる。
大きな顔をして「不精」を決めこむことができる。

 

ある時、八十歳代の男女が集まる会に出た。
見た目を意識している男女と、
そうではない男女の差は驚くほどだった。

前者は会でも活発で、他の出席者にも気を配り、
溌剌とコミュニケーションを取る。
後者は臆する様子が見え、不機嫌にも見えた。

おそらく我が身に引け目を感じたのではないか。
外見と中身は連動する。そう思わされた。

「すぐ死ぬ」と言っても人生百年時代だ。
不精を決めこんではもったいない。

 

敬老の日に

内館 牧子

 

 

 

 

 

どうせ死ぬんだから

何もしない という選択もできるし
何だってやってみる という選択もできる。。。

 

結局どんな選択、生き方をしていくにしろ
誰に何と言われようと、自分自身でそれを納得して
いれば、引け目なんて感じないんですよね。。

 

 

またそれはあらゆること全部に対してではなく、
全然気にならずに割り切れる部分と、どこか心に引
っかかる分野がそれぞれあったり、、

人によって「楽が1番」にできるところと、楽して
済ませたくない、譲れないポイントは違うんだろう
なと感じます。

 

 

堂々としていられたら、前向きに生きる原動力にな
りますが、逆に、そういった後ろめたさや引け目を
感じられるものがあるということも、諦めきれてい
ない本心に気付く、裏を返せば大切なプラスのサイ
ンですよね。

 

なんでも適当で満足できていたら、きっと引け目す
ら感じないはずです。

 

 

 

内館さんは「自分に手をかけないのは自己放棄」と
もおっしゃっています。

 

私も数々の言葉に「うっ…」と胸に刺さるものが
ありましたが(笑)

どうせ死ぬんだから

そんな自分自身の向上心や前向きなこだわりに蓋を
して見ないふりをしたり、意地でも認めない“自己
放棄”“セルフネグレクト”の中で生きるのは避け
たいと感じました。

 



「どう生きるか」に関しては、今読んでいる
『君たちはどう生きるか』にも考えさせられていま
す。(…考えさせられることばかり(笑))