頑張る目的は何?

「我慢しなくていいよ」と言われると、

我慢なんて、しなくても良いならとっくにしていない。

しなくちゃいけないものだから辛いんじゃないか…!

と思う方もいるかもしれません。

 

確かに少し躊躇してしまうこと、苦手なことをすべ
て避けて楽ばかりでは、成長や、自立して生きてい
くことは難しいですよね。

 

ただ、そんな負荷がかかるものを考えた時、

「実を結ぶことのない苦痛なだけの我慢」と、

「最初はキツくても慣れれば負荷だと感じなくなる
もの」や「大変だけど自分の喜びや成長の為に努力
できること」「子どもの頃に、初めて挑戦するもの
でも練習が苦じゃなかったこと」など、

“苦痛なだけの我慢”とはちょっと違うような感覚
を覚えたものが、今までになかったでしょうか。

 

同じ「耐える」でも、
自分を犠牲にするものと、自分への投資のために
行うものは違います。

 

一見同じように見えて、前者は「我慢」、後者は
「努力」という言葉に置き換えられる、まったくの
別物なのです。

 

 

例えば陸上競技に打ち込んでいる人で、親の期待に
応えたり、周囲からの評価のために頑張る場合、
練習は次第に我慢して行う苦しいものになります。

 

良い結果が出せると、その一瞬は達成感が味わえま
すが、評価が落ちないよう次も結果を出さなければ
と、すぐに不安が襲ってきます。

 

「自分のため」に行っていることではなく、外から
の評価のために行っている場合

終わりのないプレッシャーや、認められない・褒め
られないなど、得たい反応が返ってこなかったりすると、

 

「こんなに頑張ったのに…」

と怒りや悲しみを感じることもあれば、

「まだ足りない」

と自分を責め、認めることも出来なくなります。

 

 

そして、周囲の目を意識するあまり、極度に失敗を
恐れたり、一度失敗してしまうと、またまわりを
がっかりさせるのではないかと不安で、

前に進むのが怖くなったり、積み上げてきた評価が
一気に崩れたと感じて、進むモチベーションを失う
こともあります。

 

 

それに対して純粋に走ることが好きで、自身の上達
に喜びを感じる人は、ハードな練習もその過程も
楽しんで努力することが出来ます。

 

良い結果が出せれば、一時の達成感だけでなく、
今まで行ってきたことに充実感を覚え、自信にも
つながります。

 

また、自分がやりたいと思ったことをサポートして
くれる周囲の人に感謝し、良い信頼関係を築くこと
や、自分のために行っていた事が派生して、一緒に
喜びを共有したいと輪が広がります。

 

そして「変化」が喜びであることから、成長の為に
好奇心旺盛に様々な方法を試し、失敗をしながら
成功の糧に。結果に左右されず、情熱を持って続け
ることが出来るのです。

 

 

これは一つの例ですが、こうして見るとまわりの評
価に合わせて無理をして行うことに対しては、
余計なプレッシャーがかかる上に、自分も人も幸せ
にならない事が分かります。

 

事実、以前の私も我慢も努力もごっちゃに考え、
与えられたことをがむしゃらに頑張っていましたが
自信がつくどころかどんどん自分が嫌になり、結局
人に迷惑をかけることにもなりました…。

 

 

そこから、我慢を手放す生き方を模索していく中で
努力を楽しめるようになるために、手助けになった
のは、好きなこと・得意なことです。

 

 

子どもの頃を思い返してみると、
運動神経の良い子や歌が上手な子は、それが自然と
出来ていて、無邪気に楽しんでいたから上達も早か
ったような感じがありませんか。

 

身近なことでも、掃除や料理などが得意な人は、
わざわざ努力している感覚もなく、自然に行ってい
るだけだったりします。

 

なので、嫌々ではなく“すんなり出来ること”は、
意外と当たり前すぎてスルーしてしまい、本人が得
意なことだと気づいていない事も少なくありません。

 

また、好きなものには不意に出会うこともあり色々
経験してみなければ、分からないこともあります。

 

 

不要な我慢をやめるには、反対の

“ごく自然で心地良いこと”
“好きだなぁと感じること”
“つい、時間を忘れて熱中してしまうこと”

など、日常の中での素直な望みを探すことが
「自分のために努力する」生きやすくなるための
第一歩なのではないでしょうか。

 

 

また、今まで我慢していたことに対し、
よくよく考えてみると、誰かに強要された訳でもな
いのに「我慢しなくちゃ」と思い込んでいたことに
気づく場合があります。

 

なぜ、わざわざ「本当は嫌だと思うことを自ら課そ
うと思ったのか」裏に隠された思考を紐解いていくと、

無意識のうちに「生きることは苦行」
楽しく生きることを、自分が認めていなかったり、
思わぬ固定観念に驚くことがありました。。

(それが無意味だと自覚できれば、もう我慢する
必要は無くなります。)

 

 

誰かのため(だと思っていた)我慢がパンクして、
自分も他人も苦しめることのないように。。

“しんどい”と感じるのは、チャンスです。

 

今、頑張っていること、闘っていることは
本当に自らが望んで行っていることなのか、

もしそれがそうでないのであれば、
不毛な戦いはやめて、そろそろ正直に本心が求める
声に耳を傾けてみませんか。