分かりあえない、理解してもらえない、許せない…生きづらさ・人間関係を刷新する【ナラティブ】とは

近年、先日紹介したHSP(ハイリー・センシティブ
・パーソン:とても繊細な人)
しかり、LGBT 他…
様々なマイノリティの特性や、鬱や摂食障害など
一般的にも名称が認知されてきた疾患、

職場や家庭など、これまで比較的閉ざされていた
コミュニティや環境の問題に関しても、

情報に触れる機会と、得られる情報量が格段に増えています。

そして、かつてのように

何がなんだか分からないけれど苦しい…

自分だけおかしいんじゃないか…

異常だと自覚しても、どう対処したら良いのか分からない…、

どこに相談したら良いのか分からない…

と“無名”・“無知”なことによって、原因が分からずに
うやむやに悩む期間は短くなり、早い対処や
より確実で、合理的な解決に繋がりやすくなってきました。

しかし、そんな風に情報を活用し、
自分なりの生き方を見出していく例がある一方で、

自らの苦しみの因を特定できたまでは良かったもの
の、知識だけが詳しくなっていくばかりで、

なかなか生きづらさから抜け出せず、長期間苦しみ
続けてしまう
ケースもあります。

かく言う私も かつて抱えていた疾患を慢性化させ、
長期に渡って鬱々としてしまった人間で、
焦り、自分の不甲斐なさを責めることも多かったのですが、、

その違いは一体どこにあるんでしょうか…。

<目次>

(山あり谷あり…人生の波は最終的には±0に…?)

もちろん、内容の違いであったり、タイミングや運
に個人差もあるので、問題解決や回復のスピードに
早い・遅いの基準はなく、
底に沈んで初めて見える世界や学びもあるので、
もがくことに良い・悪い、損得といった概念もない
と考えています。

私自身の過去を振り返ってみても、

もっと早くあの人に会いに行ったら、何年も閉鎖
病棟に入退院を繰り返さなかったのかもしれない

(逆にもし、あの人に出会えていなかったら、社会
復帰はできなかったかも…)といったことや、

克服できた他の優れた人と、ダメな自分は違う
と心を閉ざし、後ろ向きになるこじらせ期が短かっ
たら、、(笑)

もしあの時に行動を起こしていたら、
 逆に踏みとどまっていたら…
」  …など、

いくらでも、たられば言うことが出来ますが、

回り道したなりに今の日常とはかけ離れたアンダー
グラウンドな世界にどっぷり浸り、それまで目を向
けなかったことを考えた貴重な歳月として、
時間はかかっても、今では全てが好適なタイミング
で、無駄なことは無かったと感じています。

しかしその過程で、あまりにも長い期間ずっと苦し
みから解放されずにいる方や、ある日そのまま二度
と話も出来ない世界に行ってしまった方との出会いもあり、

苦しみに耐え抜いたら、いつか…」は幻想で、

私のように後付けで、もがいた時期を肯定的に捉え
ようとするのも所詮一種の綺麗事、ただの自己満足
でそう思いたいに過ぎないんじゃないかと…、

生きづらさは「時間が解決してくれる」問題ではな
ことを痛感させられた現実もあります。

もうここ(閉鎖病棟)に来て9年になるの。

多分この先もずっと、ここから一歩も出られずに
薬漬けで監禁されて暮らすんだと思う。

と諦めたように話す、30代くらいのお姉さんや

18歳の頃からずっと同じことを繰り返してて、
 50歳になっても、まだ…、やめられないんだ。

いつまでこんなことやってるんだって…、
家に帰れば、親に殴られて…。

それでもまだ“痩せたい”ってことで頭がいっぱいの
自分が情けなくなる…。

と過食嘔吐で歯や髪が全て無くなり、虚な目で泣いていた人…

(夜中に真っ暗な廊下で見かけた、折れそうな身体
で必死に運動していた姿が忘れられません…)

“同じくらいの娘がいる”と可愛がってくれたアルコー
ル依存症のお母さんは、病室で隠れてお酒を飲んで
泡を吹いて搬送される騒動を起こしたのち、

びっくりさせてごめんね。

自分でも、あぁ「またやっちゃった」って…。

こうやって何度も何度も、ちっちゃい頃から娘を裏切ってきてさ…。

こんな母親、嫌でしょう?
愛想尽かされんのも当然だよ。

ダメな人間はどこまでいったってダメなんだ…。

と力無く笑っていた姿を今でもふと思い出します。

何十年と苦しんでいる方に、軽々しく気休めの言葉
も口に出来ず、その時は無意味な相槌を打つのが精一杯でした。

恐らく相手も、当時20歳そこそこの一入院患者に
答えも何も求めてはいなかったと思いますが(笑)

私自身が何の根拠もなく「大丈夫」、「焦らない
焦らない
」、「生きてさえいればいつかきっと…」
と、医師や看護師からなだめられるのが 心底苦痛
だったので、
未だにあの時なんて言えば良かったのか、身近な人
が同じ状況下だったら、どう声をかけるのかな…と
たまに考えてしまうことがあります。

少し記憶を辿るだけで思い出が次々に蘇り、
前置きが長くなってしまいましたが。。。

そんな時代を経て、人の心の壊れ方や再生について
知りたいと探し求めるようになると、長く生きづら
さを抱え、苦しみ続ける人の根底には共通して

苦しみを、分かってほしい

傷ついたことを、ちゃんと理解して欲しかった

私は悪くなかったと、認めて欲しい

そんな解放されない“怒り”のようなものが、消えず
に根強く存在し続けているんじゃないかと考えるようになりました。

行動の原動力にもなる
生きるために必須の「怒り」の感情エネルギー

怒り」は、理不尽に相手からぶつけられる経験が
あると、ついネガティブな印象を持ちがちで、
同じ事をしないように抑圧してしまったり、

“我慢できない=未熟・悪”と見なす風潮から、抱く
ことにすら罪悪感や恥を感じてしまう傾向もありま
すが、決して悪者の感情ではありません。

怒りは元々、生物が身を守るために不可欠な本能的
な感情
で、大切なもの(生命や身体、精神、精神の
核となるような大事にしている信念や価値観、自尊
心、プライドなど
)が危険にさらされ、失いそうに
なった時に、それらを守ろうとする働きで起こると
考えられています。

(自然界の動物も、我が子や仲間が敵に襲われそう
になったら、守ろうとして威嚇しますよね。)

犯人が「カッとなってやった。」「怒りに任せて
衝動的にとっさに」と供述することや、

「なにくそ!」「見返してやる!」「仇を取ってや
る!」と人を奮い立たせ、火事場の馬鹿力的に、
リミッターを外して力を発揮させるパワーがあるように

怒りは良くも悪くも、人を動かす、行動の大きな原動力になります。


精神科医が教える 後悔しない怒り方

それだけ人の行動の原動力になる、強いエネルギー
を持つ「怒り」は、湧き上がれば当然エネルギーを
消耗
します。(ずっと怒り続けるのは、想像しただ
けでも疲れてしまいますよね…)

なので、解放できないまま抑圧を続けると、
自らのエネルギーを消耗し続けて身を滅ぼすことの
ないよう、次第に省エネモードに、感情を鈍らせ、
何も感じずに済むよう無気力になる
ことや、

過去の出来事にエネルギーを使い続けること(怒り
続けること)に縛られ、常にガス欠・エネルギー
不足状態となり、前に進めなくなってしまう
場合もあります。

「自分の中に“怒り”など、ない」と思いきや…

元々の性質に大きく個人差があり、多様な生き方が
ある中で、身体や心に何らかの不具合が起きたり、
生きづらさを自覚すること、前に進めなくなることは

このままの生き方、やり方では行き詰まってダメ
になってしまうよ。

と教えてくれるサインだと思います。

そして、その生きづらさの裏側には、無自覚の怒り
の感情が隠れていることがよくあります。

(人によって、悲しみや罪悪感など、また様々な感
情が複合的に絡まっているケースもありますが)

その時は“今の生き方や人との付き合い方のどこが
負担になり過ぎているのか”自覚がなくても、立ち
止まらざるをえなくなって冷静に見直してみると

これがものすごく、自分にとって抱えきれない程
のストレスだったんだな

今まで波風立てないように顔色を伺っていたけれ
ど、私はこんなにあの人に対して怒っていたのか

“こうしなきゃいけないもの”と思って、無理やり
自分に課していたことは、身をすり減らすだけで、
実は不要なものだった…。
心の底では嫌々やりながら、本心をないがしろにし
て怒りを溜めていたんだな

といった様に(あくまで一例ですが)、

今まで見えていなかった感情に気づき、これ以上悪
い方に行かずに、方向転換するための改善点
を見つ
ける良い機会になります。

ですが、不具合が起きて、それまで気付けなかった
抑圧した感情や、満たされなかった思いなどを自覚
するところまでは良かったものの、

そこから「生きやすくなる」と言う目的がすり替わ
り、相手やまわりを責めたり、理解や見返り、謝罪
や肯定を求めることがゴールになってしまう
と、
方向転換が上手くいかないことがあります。

思い通りに事が進めばストレスはありませんが、
相手から望む反応が得られなければ、生きやすく
なるどころか、むしろ永遠に目標が達成されず、

苦しみから解放されることのない、泥沼にハマって
しまうことにもなりかねません…。

根深い過去の記憶や家庭問題ー縛られる人と乗り越える人の違い

摂食障害に関する例えで、よく「炭鉱のカナリア
の話が引き合いに出されます。

カナリアは人が気付かない空気の変化を敏感に察知
する
鳥で、昔は炭鉱を掘る時に毒ガス検知器として
現場で活用され、カナリアの具合が悪くなると有毒
ガスが出ていたり、酸素が薄いという指標にして、
炭鉱夫の命を守る役割をしていたそうです。

そこからデリケートに危うい不協和音を感じ取り、
何らかの危険が迫っている前兆や、歪(ひずみ)を
体現する・知らせてくれる
と言う意味で、

家庭や現代社会の影に警鐘を鳴らす存在として、
摂食障害患者はカナリアに例えられることがあります。

確かに、育ってきた環境や、文化や社会情勢が何ら
かの形で、心や生き方に影響を与える部分はあると
思うのですが…、

世界を見渡してみると、割と想像し難い悲惨な体験
や複雑な家庭環境、不協和音の中で育ってきても、
ダウンすることなく、明るく楽しくたくましく生き
ている方もいますよね。

皆が皆、過去の体験や環境で心を歪めてしまったり
病むわけではない
んです…。

一度は歪んでしまった人間からすると、不思議ですよね…。

と言うのも、そもそも比べるものでもないのですが
実はかつて派手に潰れてしまった私より、母の方が
遥かに複雑な家庭環境で育っていて、よく荒れたり
病んだりしなかったなと疑問に思っていたんです。

以前、過去のことを引きずっていないのか、聞いて
みたことがあったのですが、

何も気にしていないかと言えば嘘になるけれど、
どうにもならないと、諦めて、離れて…。

何も無くなった姿を見て、あの人も可哀想な人だっ
たんだなって、許せたのが良かったのかな…。

向こうは向こうで、幼い頃に母親を亡くして、
その後も母親が4人替わっていった中で、親からの
愛情を感じられた事があったんだろうか、とか…。

その中でも気丈に、家を出て出世していたのに
「危篤」と嘘の電報で、騙される形で家に連れ戻さ
れた過去を聞くと、

自分とは違う形で向こうも家に縛られて、歯車が
狂っていった不遇な人生だったんだなぁって…。

そういう事情を思うと、仕方ないよね。

どんな形でもあの人がいなければ、私は生まれて
こなかった訳だし。

と笑っていて、本当にその姿勢こそが前に進む秘訣
なのかもしれないと腑に落ちたことがあります。

よくドラマでは傷を負うきっかけとなった親や
いじめられた相手からの謝罪を受けて、

「これでやっと、前に進める…。」

と過去を吹っ切れるシーンがよくありますが、

実際の現実ではなかなか夢のような話で、
難しいんじゃないかと思っています…。

むしろ反省するような優しさの残る人だったら、
平気で人に深い傷を負わせるような酷いことはでき
ないはずですし、

人のせいにするな、全部お前が悪いんだろ!

こっちの何が悪いっていうの!?

「(すっかり忘れて気にも留めておらず)
 え…? 私、何かした?

といった態度が返ってくることが、ほとんどなので
はないでしょうか…。

(↑自らの経験から…、夢がなさ過ぎですかね 笑)

明日の約束

(ドラマ「明日の約束」の作中でも、
確執のあった親からの謝罪を受け「他の人からすれ
ば今更とか、そんなことでと笑われるかもしれない
けど、嬉しかった」と吹っ切れる生徒もいれば、

結局話し合いでは解決できずに、毒親から離れる道
を選び、前に進んでいく先生と、決別の仕方は様々…。

ですが、自らどうすることも出来ないと諦めていた
家族の問題や、自分一人の視点では分かりえなかっ
生徒の死の謎を、様々な立場の人と対話を重ねな
がら、多角的に
全容を知ろうとし、答えを導き出そ
うとする先生の姿勢はまさに ナラティブ(※)です。)

人は自分を写す鏡」と良く言いますが、
自分は悪くない”と思っている相手にとっては、
こちら側の態度が同じように映っているんですよね…。

(自分は悪くないと思っている)相手

VS

(自分は悪くないと思っている)自分

相手に非があると認めさせるまで、譲れない、
終わらないエンドレスな戦い…。

また誰にでも、知らず知らずのうちに誰かを傷つけ
恨みを買っていることもあるように、

単に強がりで非を認めないわけではなく、誰かの
記憶の中では、正しいと思っている自分の記憶とは
全く違う筋書き
で、実際に加害者となっていること
も十分にありえます。

映画 青い鳥 [DVD]/ 青い鳥(新潮文庫)

誰がどう見ても相手に非がある場合であっても、
相手に“こちら側が主張する”「非」を認めさせなければ
行き場のない怒りは解消されず、いつまでも苦しみ続ける…

そんな辛い時間に縛られるのは、もったいなくないでしょうか…。

怒りを手放すヒント「ナラティブ」とは?

これまでの記憶、自分が認識してきた筋書きを
また違う視点から捉え直してみようとする試みに
ナラティブ(ナラティヴ)」という考え方があります。


他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論

私がナラティブという言葉を初めて聞いたのは、
10代のアートを学び始めた学生の時でした。

高校生の頃から「デザイン」を中心に学んできて、
作品に対し、“相手からどう思われるか・思われたい
か”を考える視点だった私にとって

人に理解を求めたら、それはアートではない」と
いうアートや芸術が、“自己顕示欲の塊”のように思え
て戸惑っていた(笑)時に、「ナラティブ」という
概念を教えてくれた人がいました。


先端芸術宣言!

(正直、当時の私に理解するのは難しかったです…
この歳になってようやく。。(笑)


抽象の力(近代芸術の解析)

「ナラティブ」とは、広い意味で解釈ができ、
ピタっとくる言葉で言い表すのが難しいのですが、
物語物語ること語り語ること、などと訳されます。

日常ではあまり聞き慣れない言葉ですが、
語ることを意味する「ナレーション(narration)」
語り手を意味する「ナレーター(narrator)」は、
この「ナラティブ(narrative)」から派生した言葉
だと知ると、少し身近に感じられるのではないでしょうか。

「ストーリー」と「ナラティブ」の違い

同じ様に物語を意味する「ストーリー(story)」や
語り手・話し手、物語を綴る「ストーリーテラー
(storyteller)」と少し意味合いが違うのは、

落語家さんや噺家さん、朗読や紙芝居劇の様に、
ひとりで、あるひとつの視点からの物語を語る人
ストーリーテラーと表現するのに対し、

映画やドラマ、ドキュメンタリー映像などで、
登場人物とは違う、画面に登場しない客観的・俯瞰
的な語り
ナレーション・第三者の視点で語る人
ナレーター
と表現することを考えると、イメージし
やすくなります。

一点からではない、また違った視点、ひとつの物語
だけではなく、それに並行して存在する別の物語、
多角的・複合的に見る意味合いを含むのが、
ナラティブの概念
です。

ナラティブの核には、

人は自分の人生の経験に、物語を通じて意味を与える

という考え方があります。


嫌われる勇気

「嫌われる勇気」がベストセラーになったアドラー
心理学にも出てくる

人は意味づけの世界に生きている

の考え方に通じるものがあり、

人はそれぞれ自分の主観によって解釈された世界を
認識している
にすぎず、それは誰にとっても真実と
なる「ほんとうの世界」ではないという解釈です。

自分の主観で捉えた世界や物語は、事実とは限らず
実は知らず知らずのうちに、自分なりの憶測や受け
た印象、思い込みや自分がそう信じたい都合などで
沢山の脚色を加えてしまっているんですよね…。

そのため、ナラティブの指す「物語」は、出来事や
事柄の羅列ではなく、人それぞれ、その事柄に与え
た意味や解釈
の方に重きを置いています。

先ほどの「怒り」の話に戻りますが、
正しい自分」と「間違っている・悪い相手」と
いう色眼鏡を一旦外し、

ナラティブの考えに基づいて、
相手には相手なりの視点、筋書き、これまで生きて
きた世界、その解釈を含んだ自分視点のものとは違
う「物語」がある
ことを意識してみると、

「怒り続け、責めること」とは違う解決への道が、
見えてくるのではないかと思います。

※ ⇒ 母の例

そして、「分かってよ!」と相手から得られるか
どうかもわからない不確実な反応を求め、空中戦で
空振りを続けるより、

自ら知ろうとする、理解しようとする方が、
失うものよりも確実に得るものの方が多く
、精神的
土台も安定して、実は断然 楽でいられるはずです。

私自身、今でも「なんかツライ…。」と苦しくなっ
てしまう時、大抵受け身になりすぎていて、
外から自分に向かうものを意識しすぎたり、その力
が大きすぎて追われる様な感覚や、自分ではコント
ロールすることが出来ずに、無力で惨めだと感じて
しまう様な時です。

例えば「死にたい」と思う気持ち一つとっても、
主観の“死にたくて仕方がない”、頭から離れない
気持ちに囚われ、追い詰められていくより、
(また、世間体を気にして、こんな事を考えてはい
けないと気持ちに蓋をしようとするより)

「死」について、様々な分野の人はどんな価値観で
どう向き合っているのか
、自分の主観を離れ、客観
的にとことん知ろうとする
方が、心はすり減らずに
逆に満たされていく感覚さえあり、もっと知りたい
と好奇心が芽生えれば、それが生きる原動力にもなります。

少し重たいテーマで例えてしまいましたが。。

かつて、こんなに死ぬことばっかり考えている私は
頭がおかしいんじゃないかと悩んでいた時期に

死について考えることは、何も悪いことではないよ。

今までにも沢山の人が、色んな視点から考えてきた
テーマだから、本でも作品でも、他の誰かが真剣に
形に残してくれたものに触れてみるといい。

人は選ばなきゃいけないけど、もし話せる人がいた
ら他の人の考えを聞いて、語り合えると良いと思うよ。

ただし、思い詰めて視野を狭めないように。
楽しむ姿勢は忘れないでね。

と、話してくれた先生がいて、今でもその言葉に
とても救われているのですが、
これもナラティブを大切にした考え方ですよね。

おそらく死生観や特定の病、問題などに関しても、
きっと全くよぎりもしない所にいるより、苦しんだ
り、身近にそのテーマがある人だからこそ、

誰かの真意を深く感じ取れたり、興味や好奇心を
持って理解できる特権もあるのではないでしょうか。

私は健全な思考の持ち主でもないですし、決して人
とのコミュニケーションが得意な方でもなく、大半
の人が気にも止めない細かいことをいちいち気にし
てしまうHSP気質も持ち合わせていますが、

このナラティブの考え方を頭の片隅に入れておくと

今、自分が感じている現実が全てではなく、

今、自分には見えていないものを、相手やまわりの
コミュニティは大切にしているのかもしれないし、

今、ここで会うまでに、相手には相手なりの私には
知らない事情や背景があるんだ
」と、

関わりの中でも緩衝材のような働き(?)として

あくまで想像でも、様々な異なる価値観を持つ人や
社会とのギャップを埋める手助けになり、脆く弱い
人間でもなんとかやってこれています(?)←実際
これも主観による体感でしかありませんが…笑)

もしどこかで人間関係の壁にぶち当たってしまった
り、難しく考えすぎて身動きが取れずに、社会やま
わりとの摩擦に苦しんでいたら、一旦その複雑に絡
まってしまった枠組みをほどくのに「ナラティブ」
を考える試みが役に立つかもしれません◎

行き詰まっている時、全く別の「新たな視点」は
現状を打破する大きな力になります。

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