神に誓って大丈夫◎

 

昨日は、高校の同級生の結婚式でした。

たどたどしくも、友人代表のスピーチもして
忘れられない一日になりました。

 

実は結婚式に出席するのは初めてだったのですが、
思わず涙したり、思いっきり笑ったり…
キラキラ輝いている友人から幸せをたくさん分けて
もらい、こんなに素晴らしい素敵なことがあったと
は…!と感激しています。

 

苦しい時には、先の幸せなことなんて考えられませ
んでしたが、今こうして友人達と楽しい時間を過ご
せると、改めて「生きてて良かった」と心の底から
思います。

 

もし、あの時、あのまま死んでいたら…

 

当時は自分のことでいっぱいで、まわりが見えてお
らず、愚かにも後になって

こんなに友達思いの優しい友人を悲しませてしまう
所だったと気付きました。

 

 

一人もがいていた頃、“きっと迷惑になる”と、
当時の病状や抱えている問題自体、伝えることが出
来ず、閉鎖病棟への入院もあって、友人とは物理的
に疎遠になってしまいました。

 

ですが、なんとなくそういった気配を感じ取り。。
心を閉ざしていた私に、学生の頃の思い出話を手紙
で送ってくれるなど、友人はいつも平静を装って
気にかけてくれていたんです。

 

 

完全に立ち直った後に、今までのすべてを話し

「本当はすごく心配していたけど、どうしたら良い
のか分からなかった。」

と涙ながらに友人に言われた時には、

自分の気付かない所で、ものすごくツラい思いをさ
せてしまっていた事に、本当に申し訳ない気持ちに
なったのを覚えています。

 

 

皮肉にも、苦しみの渦中から抜けた後に分かるので
すが、自分の思っている以上に、まわりには想って
くれている人がいます。

 

これは、もし命を絶っていたら、
永遠に気付けないことでした。

 

人それぞれ人生に正解は無く、死が悪いとも思いま
せん。

 

ただ私個人の体験として「生きる」選択をしてみて
心から良かったと感じています。

 

 

結婚式で舞い上がり(笑)つい熱く書いてしまいま
したが。。。私には「生きる」と明確に決めた日が
がありました。

 

約5年前、初めて訪れた宮島で、厳島神社を前に
誓ってみたんです。

 

「私はもう大丈夫です。生きます。」

そんな風に誓った記憶があります。

 

当時、自殺衝動や摂食障害の症状はほとんど落ち着
いていたのですが、たまに調子を崩すとぶりかえす
不安定さが残っている段階でした。

 

ですが、その誓った日を境に、
症状が出ることはぴたっと一切無くなり、実際に
「大丈夫」な現実が続いています。

 

 

これもただの偶然、たまたまなのかもしれません。

 

私は特に信仰心が厚い訳でも、神様に対して詳しく
も、神社にさほど行く訳でもありませんでしたが、

この宮島での体験を機に、「神様に誓う」ことには
意味があるのかも..と考えるようになりました。

 

先日行った三重旅でも、伊勢神宮で願い事はせず
誓いを(ジェットコースターを克服した報告と感
謝も 笑)立てて。。

 

今月10日のヨガニードラでも、

≪サンカルパ≫という【自分自身への誓い】

取り入れ、参加者の皆さんには、「~になりたい」
「~しますように」という形ではなく、「私は~す
る」と言い切る形で心の中で誓って頂きました。

 

 

結婚式でも、教会式や神前式でそれぞれ様式が違っ
ても、どちらも神様に誓う場面があります。

 

私はこの「誓う」ということが、

“自らの進む方向に『道』をつくるような力”

を持っていると考えています。

 

「私は○○をする」と誓うことは、
=自分がそうなることを心の底から信じること
と、同じ意味だと思うのです。

 

 

例えば結婚式で、誓う時

「この人とはやっていけない…」

と夫婦になる自信が無ければ、なかなか皆の前で
誓えるものではないですよね。。(きっと(?))

そして、現実が伴なわないと思います。

 

 

同じように、“大丈夫になる。”

そんな現実を得たい時、まずは「私は大丈夫」と
自らが信じて誓えなければ、なかなか難しいのでは
ないでしょうか。

 

今はそう信じるのが難しかったら
「これから」を付け加えてもいいと思います。

 

 

無理矢理決めたことにがんじがらめに、縛りつけて
しまうのも良くありませんが、上手く“誓い”を取り
入れて。。。自らの未来を後押しするパワーにする
と、後戻りを防ぎ、前に進む手助けになります◎

 

 

生きづらさのトンネルを抜けて

人は毎日生まれ変わっている

どんなことでも、いつかは必ず終わる

変わるのを待つのか、変えるのか