自分が嫌で嫌でたまらなくしんどい時…ハマりがちな落とし穴

自己嫌悪に陥った時、
何に目を向け、どう対処するかで

より自分が嫌になり、しんどい気持ちが増していく
のか、辛い気持ちを切り替えて、前向きに満足感が
得られるよう起動修正し、心をラクに、向上させて
いけるかが大きく変わってきます。

何か失敗してしまった時や、
自分の問題で上手くいかないことがあった時、
力不足や努力不足を感じた時や、
憧れの人や優れた人と自分を比べてしまう時…

「こんな自分が嫌だ…」と自己嫌悪に陥ることは
多かれ少なかれ誰にでもあると思います。

その裏には

もっとこうしたかった
こうでありたかった

という理想や望み、欲求、向上心や目指す完成形、

人に迷惑をかけたくなかった
がっかりさせたくなかった

と期待に応えたいという意欲や、誰かを思いやる
気持ちが隠れている場合もあり、

自己嫌悪に陥ることは必ずしも悪いことではなく、
上手に付き合えば自己を成長させる力にもなります。

しかしそれが癖となり、慢性的な自己否定が深く
根ざしてしまうと、

自分はダメな人間だ

何の価値もない

この世に必要のない邪魔者だ」と、

自分の人格自体を苦痛に感じ、常に強いコンプレッ
クスを抱える状態になっていきます。

すると次第に、その状態の自己で存在することすら
苦しくて耐えられなくなっていき、

生まれてきたことが憎い

自分の存在を、跡形もなく消し去りたい」と

しんどい思いをしてまで、生きる意味が分からなく
なることさえあります。

上記は全て私の体験談なのですが(笑)、
近年は自分が嫌になることがあっても、数時間か
数日単位で切り替えられるようになってきました。

そして、自己嫌悪の負のループから抜け出し、切り
替えられるようになるためには、必ずしも自分のこ
とを大好きになる必要はなく、

無理やり自分の気持ちに蓋をして、嘘をつきながら
前向きに捉え直そうとしたり、ポジティブに思い込
もうとする努力もいらないと断言できます。

対処法については後に書いていきますが、

そんな自分が嫌で嫌で仕方がなかった頃を振り返る
と、私は今よりずいぶん融通が利かず(笑)決めた
マイルールや計画通りに事を進めたいと思い、

まわりの顔色を伺いながら、予期せぬ事態を起こし
てしまわないよう、自己嫌悪の最中で更に外部から
責められるような事態は避けたい
と、周囲を失望さ
せることや、期待を裏切ることを過度に恐れていました。

しかし、そんな風に「こうすべき」と、自らにプレ
ッシャーをかけていくと、緊張感は増すばかりで、
自己嫌悪を引き起こすきっかけにもなる「失敗」が
余計に脅威で、小さなミスもより響くものに変わっ
ていってしまうんですよね。。

そんな悪循環に気付くきっかけとなったのは、
日本全国をまわる仕事に就いた事をきっかけに、
旅をし、冒険するようにもなり、
翻弄されたり、流される魅力を改めて実感するよう
になった変化が大きいように感じます。

頑なだった頃は特に、俗世や欲、楽な方や悪い方に
その場の空気や、最初に決めた計画外のことに流さ
れないような “頑丈な軸” を持たなくてはと、

流されることに対し、マイナスのイメージを持って
いたのですが

(↑一方で自分に自信が持てず、まわりの目は気に
していたので(笑)、自らの志を突き通すような
意志のある軸ではなく、どちらかというと融通の利
かないただの外壁カタブツで、内側にしなやかな芯
を持つ意味の軸と混同していたように思います…)

実際は、

時に流れにゆだねて、

時に我を忘れてみてこそ、

その中に一貫した軸が、自然に見えてくる

ものなのかなと、考えるようになりました。

水面inteviam

特に、強いこだわりに固執して、まわりに染まるこ
とを恐れたり、なんとなく設定していた像や道から
外れることを拒んでいた時期は、

そういった自分を縛り付けようとする姿勢こそが
苦しみを生んでいたことに、今になって気付く機会
が多くあります。

自らを“こうあるべき”、“こうしなきゃ”と
今ある考えの枠の中に閉じ込めてしまうのは、

まだ知らない可能性をはじいてしまう面でも
もったいないですし、

そんな窮屈な状態だからこそ、良くも悪くも心揺さ
ぶられる 何か を外の世界に求め
、感情を高ぶらせ
たり、激しい波を起こすような事態を、現実に生み
出したり、引き寄せてしまうのかもしれません。

死後に変わる故人の表情

私は元々、急激な変化に追い付くのが苦手な、
新しいものの入れ替わりに疲れてしまうタイプの
人間で、先日も5年ぶりに携帯電話を買い替え、
時代の流れを恐ろしく実感したのですが(笑)、

どんなものも移ろい行き、変わらないものはない
諸行無常の世の中であることを、再認識させられました。

常にめまぐるしく環境が変わる中で、
正解を確かめる隙すら無いようにも感じますが、

ここから流されまい…」と、
一本の木に目をつぶってしがみついているよりも、

パラグライダーに乗って風の流れに身を任せた方が

実は色んな景色が見えて、広い視野から冷静に考え
る余裕が生まれ…

激しく心揺さぶられる嵐のような苦しい状況下では、
同じ場所で耐え忍ぶより、実はこれまで必死にしが
みついていたものを手放し、変化や動きに身を任せた方が

実は荒波に呑まれず、我慢に我慢を重ねてポキッと
折れる事なく、上手く切り抜けられるのかなと
考えるようにもなりました。

以前に触れた我を忘れる話とも共通するのですが、
外の何かに染まったり、夢中になるときは悩みから
解放されている
ことがほとんどです。

その夢中になるものが、自分の意に沿うか沿わない
かで、我に返った後に満足するか、後悔するかが
変わってきますが、

意識が外の何かに集中している真っ最中は、
悩む暇がありません。

だからその時間は居心地が良かったり、救われたりします。

病の症状や衝動に振り回されている時も、苦しい
反面、一時は目の前の辛い現実から逃避できる、
ある意味救われている瞬間でもあるんです。

そして、そのような事態が何度も繰り返されると
いうことは、今の自分が

本心の望むものとは、違うものを見ている・
 見たくないものを見るように強要している」

「目を背けて逃避したくなるくらい、本当に気づ
 いて欲しいものや、目を向けて欲しい問題
とは
 見当違いなことに、ずっと焦点を合わせている」

本来のしたいこと気にかけていきたいこと
 エネルギーを注ぎたいこととは “違うもの” に
 囚われている・過度にエネルギーを奪われてし
 まっている・気にし過ぎている」

サインでもあると言えます。

見ているものがより鮮明に見えてくる話でも
触れたように、焦点を合わせたものはどんどん強く
見えてきてしまうものなので、

嫌なことを考えれば考えるほど、見たくないものを
意識すればするほど、そればかりが目に付いて余計
に苦しくなったりします。

同じ原理で、「自己嫌悪」時も、ずっと自分を見つ
めていられるような、自分大好きな方だと問題は
ないかもしれませんが。。

自分が嫌で嫌でたまらなくしんどい時に、
自分を見つめなおしたり、分析したり、自己啓発を
試みる
のは、

余計に真正面からしんどいものを見つめに行く、
自滅に近い行為で、あまりおすすめはできません。。

(確かに成長や克服の過程で「自分と向き合う」時は必ず訪れますが、そのタイミングは、自ら“向き合いたい”と心の底から思っているかどうかがとても重要だと感じています。

私個人の体験ですが、自己嫌悪の真っ只中で、「向き合わなきゃいけない」ような気がしたり(強制・義務感)、まわりに急かされるまま治療の一環として自分と向き合っても、更に嫌な面を探しにいくように、粗探しをしてしまい、消えたい思いを助長することとなり、逆効果でした。

しかし、「自分以外の」外のものに目を向けて、ある程度心身が元気になり、エネルギーが溜まってくると、自然と自ら向き合いたくなる、知りたくなる「今なら大丈夫そう」だと感じるタイミングが訪れます。

その段階で向き合えるのが、自己否定の泥沼にハマることや、抵抗や反発を生むリスクもなく、効率の良いベストタイミングだと思うので、嫌で耐えられない時期に焦って玉砕することを繰り返すより、まずは冷静に、自らが能動的に「こうしたい」と意欲的になれるエネルギーを回復させる方が、結果的に近道となると考えています。)

私のヨガの師であるマイラ先生は、

「鬱になったらまずは自然の中を散歩をしなさい」

とも言っていました。

時に、自己の内面を見つめる側面もあるヨガは、
うつ状態が重く、自己嫌悪感が強すぎる時には
余計に苦しくなってしまうこともあるからです。

(※ この時もまずは心身のエネルギー回復を優先し
「しなきゃ」と頭の都合で強要するのではなく、

自ずと「やりたい」「動いてスッキリしたい」と
感じた時、「やってみたい」と興味が湧いたタイミ
ングでヨガを始めてみると、スムーズに事が運びや
すいです◎)

それまでバランス良くまわりに向いていた意識が
自分一点にばかり向き、執着し苦しくなることで
鬱になるのか…

鬱になることで、内側の狭い部分に囚われて、
まわりに意識が向かなくなってしまうのか…

どちらが先かは分かりませんが、

憂鬱で、しんどい時こそ
その狭い対象にばかり、感覚が集中してしまいがち
です。

そういった時は

散歩でも、
音楽でも、
料理でも、
色を塗ることでも、
身体を動かすことでも…

なんでも良いので、内側の固執していることから離
れ、外の世界に意識を向ける時間が救いになります。

興味のあるものに目を向けることは、別に現実逃避
ではなく、自然と自身にとって心地の良いもの・
向いているものが分かるメリットもあり、実は外の
世界との関わりの中で、自らを知る行為でもあります。

・夢中になれるものが無い

・本当はぐるぐるとキリのない負の思考ループを
 断ち切って、他の新しい何かに有意義にエネル
 ギーを使いたい、そういったものに出会いたい

・好きなものが無い・分からない

という場合には、何かを学ぶのもおすすめです。

個人的な話ですが、私は今年隠れ目標だった(?)
運転免許を取得してみました。

別に「好きなこと」ではなくても、
新しい分野を勉強する場に身を置くと、

普段とは違う回路で頭を使い、新たな刺激を受けな
がら学ぶ対象に集中している時間は、慣れない疲労
はあっても、やはり心地が良かったです。

(他の講座などでもそうですが、学びの場では
日常生活の延長ではなかなか出会わないような人と
出会うチャンスもあり、そこから視野が広がって、
自分の心に響くものが見つかることもあります。)

どっぷりとその瞬間に染まってしまえば、悩む暇も
なく、新たな刺激から気付かされることもあり、
夢中に何かを学ぶ姿勢は、これからも常に持ってい
たいと改めて感じました。

自分が嫌いで嫌いで、嫌になり過ぎてしまった時期
を経て思うことですが、、

まずは「外の気の向くもの」に身をゆだねてみて、
ある程度、自己と距離を置いて元気になったら、

自然と好きなもの・興味のあるもの・心が追い求め
ているものが見えてきて、
「もっと知りたい」という好奇心や、「深めたい」
と望む向上のタイミングで、

わざわざ強制的に向き合おうとしなくても、自発的
に自らと向き合う気力や勇気、意欲は湧いてくるも
のなんじゃないかと感じています。

なので、嫌な時に嫌なことを、
自己嫌悪に陥り、自分が嫌で嫌でたまらない時に
わざわざ嫌な自分のことを考えなくても大丈夫
なのではないでしょうか。。

私自身、逃げるように健康上よろしくないことに
翻弄されても結果、何とかなりましたし(笑)

今あることに、不本意に流されていたとしても、
後からその意味を理解し、必要だったと外の世界
から教わり、理解できる日もやってくるはずです。

だから、嫌だと思うネガティブな気持ちにも、
「こうしたいなぁ」と湧き上がる素直な好奇心に
も蓋をしないでください。

心が動かされるものを大切に。。。

どうぞ心安らぐクリスマスと、
良いお年をお迎えください◎