デッサンとヨガはよく似ている

 

鉛筆デッサン石膏像-inteviam

学生の頃も割と好きだった石膏デッサン。
(写真は10代の頃のデッサンです。)

 

ただ当時あった、上手く描かなきゃという
プレッシャーや欲から解放されて、社会人
になってからの方が、のびのび楽しく描け
るようになりました。

そして皮肉なことに、上手く描きたいと根
詰めていた頃よりも、何も考えずに楽な気
持ちで描いたほうが、硬さのない自然な感
じが出せるように。

 

絵とメンタルって結構繋がっていると思い
ます。

 

猫のいるアトリエ、デッサン風景

デッサンはよく絵を描く上での基礎力だっ
たり、客観的にものを見る観察力などと言
われますが、実は私はなんとなくそうなん
だろうなと思う程度で、ちゃんと理解して
いませんでした。

 

一度しばらく絵を離れて、ヨガを始めたり、
自分の内面との向き合いながら、ものの見
方を模索していた時、ふと石膏が描きたく
なって、描ける場所を探して行ってみたと
ころ、こういう事なのか…!とやっと腑に
落ちた感覚があったのです。

 

多分センスが良ければ、すっと理解できる
のかもしれませんが、色々とこじれて視野
が狭くなっていた私は、少し寄り道をして、
まず歪んだ捉え方を整理しなければ、理解
できない部分だったと思います。

 

「遊ぶ」=「さぼる・怠ける」思考だった
学生の頃は、先生の言う「遊べるときは思
いっきり遊んどけ」という言葉の意味も分
かりませんでしたが、後になって、
「あぁ、そうやって色んなものに触れて視
野を広げておけってことだったんだな..」
と実感しました。

(真面目にしていても実際は気ばかり張っ
て、集中すべき場面で100%しっかりでき
ていたかというとそうでもない..笑)

 

あのまま美術の道を一直線に進んでいって
も、こういったことに気付けなかったと思
うので(そもそも途中から絵を描くどころ
ではなかったですが)、結果的にまわり道
をして正解というより、かえって近道だっ
た気もしています。

そんなまわり道をしてみて感じたことです
が、ヨガとデッサンはよく似ていて、普段
の問題解決に活かせるヒントも多くありま
す。

 

なかでも私の中で、冷静なものの見方をす
る手助けとなっているのが、

 

「見ているところが見えてくる」

 

という事実です。

 

りんごを見ているとりんごの細かい部分ま
でどんどん見えてくるし、服のひだに目を
向ければ、その部分の表情が次第に鮮明に
見えてきます。

 

デッサンをする時、細かい部分を描写する
ものに迫る見方と、それぞれの描写が浮い
てしまわないよう全体のバランスを取る大
きな見方の両方が必要になります。

 

ただ遠くから眺めているだけでは、本物に
近づいていけないし、近くばかりを見てい
ても、バランスが崩れてしまうので、どち
らも大切な視点です。

どちらかに偏りすぎてしまうと、なかなか
上手くいきません。

 

ヨガでも一点集中しながら、全体性のバラ
ンスをとることを目指しますが、視野を狭
めて執着したり、外から傍観しているだけ
でも、本質には近づいていけないのです。

 

普段の生活で何か上手く行っていないこと
がある時、この見方を思い出してみると、
大体どちらかに偏った向き合い方をしてい
ます。

 

偏りに気付けると、少しまわりが見えてな
かったから冷静になろう、もしくは臆病に
なりすぎていたからもう少し突っ込んでみ
ようかな、などと自分に何が足りなかった
のかが分かり、解決の為にやるべきことが
見えてきます。

 

デッサンにおいても、ヨガにおいても、最
初は近づきすぎたり、離れすぎたり、私も
失敗を繰り返しながら、次第にちょうど良
いところが見つかるようになってきました。

 

時にはどちらかが0や100に近くなることも
必要ですし、停滞せず、主観的な意識と客
観的な意識を繰り返していくことが、問題
から抜け出したり、目指すゴールに近づく
のに大切だと実感しています。

 

 

 

また私は問題を解決しようと、その問題に
ばかり目を向けて、結果的に執着してしま
うことが以前はよくありました。

結局「見ているところが見えてくる」ので、
解決策どころか、その見たくない問題ばか
りが常に見えてきてしまうのです。

そして問題に執着していることに気付き、
その執着をやめなきゃと更に執着し、事を
大きくしてしまうことも(笑)

 

 

もしこんな風に行き詰まったら、デッサン
では、そのまま描き続けても上手くいかな
いので、一度鉛筆をおいて席を立ち、違う
ことをして冷静になります。

 

そんな風に離れてみると、解決しなきゃと
躍起になっていたことが、意外と問題では
なかったと気付くことがあります。

(顔の印象が似ないという時、手を止めて
見てみると、意外と顔のパーツではなく、
顔と身体や髪型のバランスだったことに気
付くことも)

 

同じように日常生活でも、問題にフォーカ
スを合わせ続けることが、事実を見えにく
くし、身動きをとれなくさせて、苦しめて
いたりするのです。

 

 

また、執着を手放すには、それを受け入れ
てみます。

 

ヨガや瞑想などをしている間、何か考えが
浮かんできた場合、考えてはいけないと思
えば思う程、そのことがしつこく浮かんで、
だんだんと大きくなって、気になってしま
うことがあります。

ですが、こういうことを考えているんだと、
認めて受け入れると、不思議ともうそれ以
上意識は向かっていきません。

 

なくそうなくそうと抵抗すると、その抵抗
反発している部分をずっと見て、見えてき
てしまうことになりますが、そこにあって
も良いことが認められれば、安心して別に
注意を払う必要もなくなります。

 

普段何かスムーズにいかない時は、上手く
いかない部分に目を向けすぎていたことに
気付き、強いこだわりを認めるだけで、途
端に力が抜け、視野が広がり、その時必要
なことが目に入ってくる、なんてこともあ
りがちです。

 

 

「見ているところが見えてくる」なら、や
はり自分にプラスになること、好きなこと
に目を向けていきたいですよね。

 

私もこれからしばらくは、桜や春の訪れに
目を向けて楽しみます。