障がい者のきょうだい-生きづらさの影に潜んでいたもの-

映画『ギルバートグレイプ』(93’)

 

何も後ろめたいことはないのに、ふと口に
出すと、たまにその場の空気が一瞬止まっ
たかのように感じることもある、障がい者
のきょうだいの話題。

 

私の弟には生まれつき聴覚障がいがあるの
ですが、当事者同士だと特別支援学校やス
ポーツなどのサークル、親も学校や家族会
など、割と同じ立場同士で話をする機会が
あっても、きょうだいは意外とそういう場
が無かったりします。

 

私も小学校の頃は休みの日に弟の支援学校
に連れられ、何回か同じ境遇の子と遊ぶ機
会はありましたが、それ以降は全くありま
せんでした。

 

なにより自分自身にハンディが無いことで、
何も問題が無い(起こしてはいけない)と
感じていましたし、まわりの友達と兄弟の
感覚や役割が違うのは当たり前だと思って
いたので、“障がい者”を意識することは
あっても、“障がい者のきょうだい”に関
心を持つことは無かったのです。

 

 

ですが、大人になって自分だけの問題だと
捉えていた生きづらさに限界がきて、ガタ
がきてみると、、、

きょうだいに関して、全然問題が無くなか
ったことに初めて気付きました。

 

ややマイノリティな話題で、これから書く
ことも一個人の体験に過ぎませんが、
きょうだいの視点も描かれた映画と共に、
誰かのモヤモヤを解消する参考になること
もあるかな、と触れてみることにしました。

決して正しいことでもないので、こんな人
もいるんだなぁ位に思っていただければ幸
いです。

 

映画『ワンダー』(2017)

 

一口に障がいと言っても、内容も違えば、
まわりの環境だったり、関係性や求められ
るもの、起こる出来事に対する向き合い方
も、人それぞれまるっきり異なります。

 

それはきょうだいにも言えることで、
私は学校の下駄箱で、弟の同級生から嫌味
を言われても、何も言えずにお辞儀をして
その場から逃げてしまう子でしたが、

(今思えばなんでお辞儀したのか…笑)

ろう学校で会った、お兄さんに聴覚障がい
のあるその妹さんは、“お兄ちゃんは私が
守る!”と強い正義感を持っていて、知ら
ない人にじろじろ見られても

「何見てんのよ!!」

と言えるヒーローのような女の子でした。

 

かっこいいなぁと思いながら、
私には出来ない・・・ダメな姉ちゃん、と感
じたり。。。

 

いつの間にか弟の方が大人になり、今では
すっかりナメられまくりの私ですが(笑)、

映画『ギルバートグレイプ』のジョニーデ
ップだったり、『ワンダー』のお姉ちゃん
みたく頼りがいがあれば、もうちょっと姉
っぽくいれたかなぁなんて思います。。

 

 

今ではふざけたり、割とフランクに弟と接
することができるようになりましたが、
子どもの頃はどこか遠慮することも多く、
姉弟げんかをすることもありませんでした。

 

傍から見れば、順調に成長していた2人で
したが、ある日姉ちゃんがぶっ壊れ、その
間に弟も社会との壁に思い悩んだようで、
それぞれがこの世界に居場所を見つけてか
ら、ようやく一対一の姉弟として、向き合
えるようになった気がします。

 

と言っても、弟は割と自分の道を歩んでい
たのですが、自力で立てていなかったのは
その影を引きずる私の方だったのです。

 

映画『レインマン』(88’)

 

いつしか、なぜかは分からないけれど

“生きていることが申し訳ない”
“本当はこの世界にいてはいけないんじゃ
ないか”

子どもながらにそんなことを思うように
なりました。

 

別に耐えられないほど嫌なことがあった訳
ではないのに、、そんな風に思うのは自分
の弱さからだと思っていましたが、破綻し
てから突き詰めてみると、それは

生まれながらにハンディを抱えた弟を前に、
自分だけが恵まれた健康体でいることへの
申し訳なさ、罪悪感からきていました。

 

そして理由もなく、常に追い立てられてい
るようなプレッシャーがあったのですが、
それも大人から何気なく言われた「お姉ち
ゃんは弟くんの分までなんでもできるね」
という言葉を、幼い頃の私が「なんでもで
きる身体だと、なんでもできないといけな
いんだ」と大げさに変換して捉え、無意識
に刷り込んでしまっていたのです。

 

これらに気付いた時には、そんなこと
で?!と自分でも驚きました。

気付いてしまえば、何も気にする必要は無
かったんだと理解できますが、幼い頃から
それが当たり前になっていたので、耐えら
れなくなるまで自覚することができなかっ
たのです。

 

 

これはその他の要素も混ざり合いながら、
ボタンの掛け違いのようなものが起きてい
た私の体験で、障がい者のきょうだいがみ
んな同じことを思ったり、経験するわけで
はないですし、障がいの有る無しに関わら
ず、きょうだいの在り方は本当に様々だと
思います。

そしてこれが正解というのも、きっと無く、
何が・誰が、良い・悪いということもあり
ません。

 

ただ、いわゆる健常者でも、完璧な人間は
いないことは確かです。

(あのダリだってそう言っています。)

 

健康な身体で生まれてくることは、もちろ
ん当たり前のことではありませんが、それ
に感謝することはあっても、自分だけが健
康体であることを、負い目に感じる必要も
ないし、罪悪感を覚える必要もありません。

 

親だって完璧な人間ではないのだから、泣
いたり、戸惑ったり、疲れ切ってしまった
り…そんな姿を見ても、それはきょうだ
いの頑張りで解決できるものでもない、仕
方のないことです。

(親の年齢になった今、私一人でもあたふ
たしているのに(笑)、2人の子どもを育
てるのは大変だっただろうな、というのが
よく分かります。)

 

ハンディを抱えながら一生懸命に生きるき
ょうだいの強さを感じても、だからといっ
て自分が弱音や不満を吐くことはワガママ
でも贅沢でもないし、五体満足だからとい
ってなんでも全て完璧に出来なきゃいけな
いことはないのです。

 

サポートを求められる環境ではあるけれど、
自分を押し殺したり、自分が誰かに助けを
求めてはいけないというルールもありませ
ん。

 

 

きょうだいでも、まずは
自分のために生きてよかったのです。

 

 

 

映画『聲の形』(2016)

 

3年前、摂食障害ホープジャパン主催のU
CLA摂食障害スタディツアーに参加した際、

宿で同室になった、学生向け 摂食障害ピ
アサポートグループ『ぽらりすのつどい』
を運営していたゆたさんが、

“きょうだい”Cafe
語り合おう、障がい者のきょうだいのこと

というイベントを開催していることを知り、
意外ときょうだい特有の悩みを抱える人も
多いことを聞きました。

 

後から気付いたことですが、私は表面を取
り繕いながら綺麗に生きようとしていた部
分があり、なんとなく家の中にただならな
い雰囲気が漂っていたことを言い訳に、
健常者の自分が悩むことすら甘ったれだと、
実は都合良く、自分の本当の気持ちに目を
背けていた側面がありました。

 

子どもの頃からそうして無意識に、自分と
向き合うことを避け続けてしまったので、
いつしか自分を見失い、派手に分断してし
まったのですが(笑)、こういった語り合
える場と出会っていたら、もっと早くに正
直な気持ちを見つけられたかもしれません。

 

誰にも気持ちを吐き出せない、同じ立場の
人の思いが知りたいという方は、こんなコ
ミュニティを利用してみても、良いかもし
れませんね。

 

映画を見ていても、共感できる部分と、そ
ういうものなのかなと想像することしか出
来ない部分があって、やはり人それぞれ体
験すること・思うこと・価値観は違うんだ
なぁと改めて感じます。

 

いずれにしても、普通だったら何も考えず
に通り過ぎてしまうようなことも、違った
視点でみる機会が多かったり、、、

影を吹っ切るまでに少し時間はかかったけ
れど、レアな体験が出来る姉弟がいて、本
当にラッキーだったと今では思います。

 

姉っぽさも何もないのですが、破綻した時
には大変ご迷惑をおかけしたので、これか
ら私も嫌われないように頑張らなきゃです
ね…(笑)