痩せても痩せても、いつまでも太っていた理由

「近所で時々、摂食障害なのかなって思うくらい、
痩せている人を見かけるんだけど、あんなだったな
って思い出して・・・」

 

そう母に言われ、

 

「そんなにまわりから見ても、異常だなーって思わ
れるくらいだった?」

 

とその頃の体型が思い出せない私。

 

 

「みんな気遣って見て向ぬふりをしていたけれど、
あの子どうしたんだろうとか・・・同情?
なんて言ったらいいか分からないけど、びっくり・・
というか、ちょっと怖いような、普通だとは思わな
かったんじゃないかなぁ」

 

「・・・え? 誰も見てないと思って適当な格好して
歩いてた気がするけど・・、もしかしてうわっ・・て目
立ってたのかな?」

 

「うん・・・。まぁ皮膚がのぞいてた所に目がいって、
格好はほとんど気にしてなかったと思うけどね
(笑)」

 

 

(そうなのか・・・)

その当時は触れてはいけない問題な気がして、会話
を避けていましたが、後からでも本音を聞けて良か
ったと感じつつ、

きっとうつろな目で、心ここにあらずな様子でふら
ふらしてたんだろうな・・・と、過去の姿を想像して、
少し恥ずかしくなりました(笑)

 

 

でも本当に不思議なのですが、30kg近くの自分がど
んな体つきをしていたのか、今でも全く想像できま
せん。

 

座った時の骨が当たって痛い感覚や、採血に1時間
苦戦したり、産毛が猿みたいだった断片的な映像は
思い浮かんでも、不自然に操作されたかのように、
体形の記憶だけがすっぽりと抜け落ちているのです。

 

 

 

そういえば前に摂食障害学会で、同様に克服した
方々とご飯を食べに行った時も、そんな話をしたこ
とがありました。

自分がどんな体型だったか思い出せない。

痩せていたという自覚が全くなかった。

うわー細いなー・・・と思うマネキンを見て、どのく
らい細いんだろうと着ている服を試着してみたら、
ブカブカで・・・あれっ?となった。

などなど。

 

今更ながら、ボディイメージの障害って、こういう
ことだったのかと、後になってから理解ができまし
た。

 

 

 

本当はやせ細っているはずなのに、自分では贅肉が
たっぷりついているように思えたり、自分自身の見
た目などを歪めて捉えてしまうのが、【ボディイ
メージの障害】です。

 

醜形恐怖症のように、客観的なイメージに反して、
身体のどこかが異常に醜く感じたり、おかしいなど
と認識してしまう疾患もあります。

 

難しいのは、当の本人にはそう見えている(認識し
ている)ので、まわりがどんなにそうじゃないと言
っても、理解できないところ。

 

実際に私も急激に体重が落ちていた当時、まわりの
声に反して、自分がそんなに変わっているという自
覚がありませんでしたし、

結局どんなに「それはボディイメージの歪みから来
ていて、実際は○○なんだよ」と言われても、私の
中にはどうしたって歪んだ状態でしか認識できない
ので、それが実際の世界に変わりはありません。

 

かえってまわりの意見の通りに認識しようとするこ
とは、今見えている世界を偽るような違和感さえあ
りました。

 

 

現在はボディイメージに関して、客観的な見え方と
自分の見え方にズレはないと感じますが(?)

こういった脳の錯覚というか、認識の誤作動は、小
さなことは日常でもごく普通に体験しますし、実は
誰にでも起こりえます。

 

よく目の錯覚が起きるアートなども紹介されていま
すが、実際のものの見え方と違う捉え方をしてしま
うことは珍しいことではありません。

(そもそも厳密に言ってしまえば、視力も皆違い、
現実世界がどう見えているかは人それぞれ多少なり
とも違うので。。

今見えている世界は、個々の脳の中で情報を映し出
しているようなものなのですよね。)

 

(※3本の横線は全部同じ長さ)

脳には効率良く情報を処理するために、自分の認識
を裏付けるような判断・見方をする性質があります。

 

 

こういう映像を見ると、瞬時に目の前に起きている
状況を判断する脳ってすごいなぁと思うとともに
(ドッキリではそれが裏目に出ちゃいますが・・・
笑)、

人は結構「○○に違いない」と思い込んで、ものを
見ていることがよく分かります。

 

その認識と違う反応が返ってきたときや、それが人
に理解してもらえない時に混乱してしまいますが、
その人にとっては偽りのない現実として見えていた
ことは客観的にも理解できますよね。

(リアクションが大きくて分かりやすい(笑))

 

 

この思い込みのズレが私の中で起きていたボディイ
メージの障害ですが、かつての認識の誤差はいつ消
えていったのか、全然覚えがありません。

 

むしろそんなことがあったことすら実は忘れていた
のですが、恐らくそれが良かったのだと思います。

 

 

【⇒死ぬまでに「死ぬまでに行きたい絶景」に行っ
てみて変わったこと】にも書きましたが、

当時の状況が大きく変わり始めた時、それまで見向
きもしなかった外の世界に意識が向くようになり、
別に無理に偽ろうとしなくても、

「それまでに重要だったこと」と「今の自分にとっ
て大切だと感じること」の価値観が自然に変化して
いきました。

 

 

ざっくり言ってしまえば、
好奇心の赴くままにきれいな景色を見に行ったり、
気の向くままに面白い人と話してみることが全力で
楽しくなってしまい、それまで言われていたことや
自分のことなど、思い出す暇もない程どうでもよく
なってしまったんです(笑)

 

 

多分これは、どんなに「あなたの認識が間違ってい
る」と言われても、自分の頭で「そうは思えないけ
れど、○○なはず」と思い込もうとしても、上手く
いかなかったと思います。

頭で「おかしい、こんなはずじゃ・・・」と考えてい
るうちはやはり混乱が残ってしまうように、
ドッキリのネタばらしの時の「なんだ、そっか!」
と同じ、素直に腑に落ちる体験が必要だと思うので
す。

「Unbelievable!!」

と言いつつも、それまで信じていたことを「違っ
た」と認め、その瞬間の新しい見え方を受け入れる
こと。

 

 

自分が今まで信じてきたり、ある意味しがみついて
きたものを手放すって、抵抗を感じたり、勇気がい
ります。

 

なので、新しい認識の方が“快適”、“嘘や我慢が
なくてすっきりする”といったように、心の底から
メリットを感じられなければ、ますます慣れ親しん
だことを手放すのが難しく、、

やはり見方を変えるというのは、力づくでできるこ
とではなく、納得できるきっかけから自然にシフト
していくものなのかなと感じます。

 

 

 

そのためにできることは、日々の繰り返しの中で“
ひらめく”ということもあるかもしれませんが、

例えば、
誰かと話すことでも、
本を読むことでも、
違う環境に身を置いてみるでも、
習慣を少し変えてみるでも・・・

それまでとは違う刺激を与えてみることで、意識が
変わるような、心を揺さぶられる体験に出会う確率
を上げることができます。

 

 

と、私は色んなきっかけもあって、身体のイメージ
を含め、ものの見え方の変化を体験してきましたが、
別にこれらは変えなければいけないものではありま
せん。

結局はその人がどう生きたいかであって、何がどう
目に映るか、それをどう見て、どう感じるかもその
人の自由です。

 

今のままが良ければ、そのままで良いし、今見えて
いる世界の居心地が良くなければ、誤作動を起こし
ている思い込みを外していくことで、目の前の現実
を変えていく選択肢もあります。

どうせなら(?)これからどんなことに目を向けて
いきたいでしょうか。